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2013年12月17日

国会質疑:アイティーエム証券+倉橋正治+ソキア関連

第180回国会 財政金融委員会 第8号
2012年4月24日

荒木清寛 次に、証人は、先ほどもありましたように、投資事業組合を通しまして、二〇〇二年九月以降アイティーエム証券を買収したといいますか、十億円投資をしたということでございます。その目的は何ですか。
■証人(浅川和彦君) アイティーエムに投資した目的、基本的には、私どもは当時は投資顧問の助言でございますから、当時、助言業務のときには、私、ミレニアム・アソシエイトとか関連会社も全部社長をしておりました。一任になってから替わったわけです。このときに、なぜ投資したかといったときは、証券会社業務がないから証券会社として販売する業務が一つ欲しかった、そのために、向こうの要請もあり、私は当時投資したということでございます。
■荒木清寛君 証券会社が必要であるというのであれば、そういう損失のない証券会社は幾らでもあるわけですから、それをあえて数億円規模の損失を出しているアイティーエム証券を買収したのか、これを聞いているんです。
■証人(浅川和彦君) そうじゃない証券会社はたくさんあると言うけど、当時はそんなになかったわけでございます。
 もう一つは、当時は、ファンドもつくってもらったということもありますし、この会社をいい会社にしていこうという、私も証券会社上がりですからできるという自信がありました。だから投資しました。
■荒木清寛君 それでは、あなたは、証人は、アイティーエム証券で損失を出した原因者といいますか、誰が、誰の行為によってそうした損失を生じたかは知っていましたね。
■証人(浅川和彦君) 当初、一億五千万最初やったときは余り詳しく調べていませんでした、一億五千万で十分足りるということで。その後に、九月に入れた後十一月に、かなりこの二か月間の間かなり調べて、当時いた、アイティーエム証券で株の売買やっていた方がお客さんを、昔で言ってどうなるか、何という言葉が正しいか分かりませんが、損したまんま逃げちゃったというお客様が大分いて、その後、それで損失が出たというふうに話聞いているわけでございます。
■荒木清寛君 ですから、誰が、その証券会社の社員、何という社員のそうした行いによってそうした穴が生じたのか、知っていますか。
■証人(浅川和彦君) 個人の名前は余り出したくないんですが、当時は、だから、アイティーエムの本来の仕事をやっていただけじゃもうからないというんでブローカー業務をやっていて、それは、名前を言えというなら、私は倉橋という人間ではないかと思います。はい。
■荒木清寛君 その倉橋正治さんというんですか、正治さんと、高橋成子さん、そしてあなたは、元ペインウェバー証券の同僚だったんですね
■証人(浅川和彦君) 同じ会社にいたということですね。同僚というより、同じ会社にいた。はい。
■荒木清寛君 そういう一定のお付き合いはなかったんですか。
■証人(浅川和彦君) 当時、私と倉橋とはペインウェバーのときには同じ営業畑にいましたから、付き合いはあったかと言われれば、全くないという答えにはならないと思う。ただ、仕事上はほとんど付き合っていないということでございます。
■荒木清寛君 倉橋氏は、いわゆる仕手グループの一員ではなかったんですか。
■証人(浅川和彦君) それは、仕手グループかどうかというのは私は分かりません。
■荒木清寛君 先ほどのこのアイティーエム証券での損失というのは、倉橋氏が仕掛けたいわゆる仕手戦の失敗でそうした損失がアイティーエム証券に生じたということではないんですか
■証人(浅川和彦君) その質問は私にすべき問題じゃないと思いますね。私は、それについては、憶測で物を言うことになりますから、これは新聞記事と同じになりますから、私が答えるべきではないと思っております。
■荒木清寛君 ですから、倉橋氏がこのアイティーエム証券で仕手戦をやって、後に刑事事件にもなったようでありますけれども、そうしたことでこの証券会社に損失が生じたということをあなたは知らなかったのですかと聞いているんです。
■証人(浅川和彦君) それは、大分投資した後で、後で、裁判ざたに、裁判になりましたから、それで分かってきたわけでございます。だから、その当時から知っていたかというと、当時は知っていないんですよ。だから、それは後から、いろいろとお客さんの中の、いろんなお客さんがいたから、そのお客さんとのやり取りの中でのことだと思う。これは、私が決して何か指導したわけではありませんし、当時は私はアイティーエム証券に投資する側でございましたから。
 あとは、これはもう証券会社の方に聞いていただいた方がよろしいかと思います。
■荒木清寛君 後でということは、先ほど、まあ十億円投資をしたとしますと、一億五千万円投資をする段階ではそれは知らなかったということはですね、次の投資をする時点ではもうそうしたことは情報として知っていたということですか。
■証人(浅川和彦君) だから、当時は、そのスタートしたときは四億円ぐらいだと思う、一億五千万入れていますから、あと二、三億円。ですから、自己資本比率では何とかなっていたんだろうなと思うし、前回の衆院の予算委員会で西村氏の発言を聞いていると、十億円も要らなかったと逆に言われたような状況ですから、十分資本としては間に合ったのかなと。ただ、私が、結果として資本金として十五億になっていますから、十億円ぐらいの金額を投資事業組合及びほかのお客様から買っていただいたんだろうなと、今はですが、想像しているわけでございます。
■荒木清寛君 ですから、私がお聞きをしているのは、まあ十億円全部投資をしてから今言ったような倉橋氏の仕手戦に係るような情報を知ったのか、それとも、その投資をしている途中の段階でもうそれは分かっておったのかということを答えてもらえますか。
■証人(浅川和彦君) それは、金額的に三億円入れた後、個人も入れて、あとストックオプションも当時入れた段階である程度分かってきたという状況ですね。はい。
■荒木清寛君 そのアイティーエム証券に十億円を入れたわけでありますけれども、まあ、その事業投資組合から入れたんでしょうけど、その出資者といいますか、資金源は誰だったんですか。
■証人(浅川和彦君) 当時は、一番最初このファンドを買ったのは二〇〇二年の五月、これは当時、もう今はないですが、これ名前出したくないんですけどね、出さなきゃいけないですか。(発言する者あり)熊本の県信連さんでございます。これが私の熊本時代のお客様で、それがスタートで一番最初にやってもらったと思います。約十億近いと思いますけどね。そこから後いろいろお客様含めてファンドを集めていったんで、次の二〇〇三年の五月までの年金さんが初めて入るまではそういったお客さんが中心で入っていたと思います。
■荒木清寛君 西村証人の衆議院の証言では、一番のメーンは神戸女子学院ではなかったかと思いますと、これはあなたの資金源という意味ですよ、言っておりますけども、言われておりますが、まあ神戸女子学院、インターネットで調べてもちょっと出てこないんでありますけど、そういうところが資金源であったんですか。
■証人(浅川和彦君) ええと、これちょっと彼ね、勘違いしているんだと思いますね。だから、当時やったのは熊本県信連さんですよね。で、その後、神戸、これは余り名前出すとね……(発言する者あり)神戸松蔭さんなんですね、神戸松蔭女学院。だから、これ女子大学ではありません。彼の言っているのは間違いだと思います。
 で、それは、そこは、あと余資の運用ということで一部やっていただいたと、このファンドは大分後になりますけど、いうことでやっていただいているということでございます。
■荒木清寛君 今言われたような出資者がアイティーエム証券買収のまあ出資者といいますか、原資であったという理解でいいんですか。
■証人(浅川和彦君) あとは、その後いろいろファンド買って、まあ、だからそういう、どこだと限定できないです、投資事業組合については。あと別に投資事業組合として独自に立ち上げているものもありますから、だから、その二つというわけではございません。
 ですから、もろもろいっぱいという、今誰だと言い切れないぐらい分かんないんですね、今ね。はい。
■荒木清寛君 西村証人は、まあ恐らくこの倉橋氏が手掛けたこの取引に関してだと思いますが、立替金で四億数千万円、借入金も足すと七億円ですね、ぐらい損失が生じたんではないか、こう言っております。
 結局あなたは、そうした会社に十億円投資をして、まあ穴埋めをしてあげたわけなんですけどね、どうしてそういうことをしてあげる関係があるんですか、あったんですか。
■証人(浅川和彦君) 穴埋めという考え方は私はよく分かりませんが、資本として投資しただけでございますから、その後、この会社としてはきっちり成り立っているわけなんで、で、結果としてストックオプションを入れて、最初に三万株入れて、ストックオプション入れて行使されていったと、こういうことですから、それを救うためというよりも、いい会社にしていけるというふうに思っていたわけでございます。
■荒木清寛君 まあ、健全な証券会社はほかにもあったと思いますし、あるいは自ら設立することもできたはずでありますから、どうもよく分かりません。
 そもそもあなたは、西村証人とは、西村さんとはどこで知り合われたんですか。どういう関係だったんですか。
■証人(浅川和彦君) 今これ、振り返ってみたらいつだったかなって実は思ってて、千九百、で、山一証券潰れた後に誰かの紹介で会ったのがきっかけかなという。それでその後に、彼が別会社か何かつくって社長をやっているということを聞いただけで、いつごろと言われても、二〇〇〇年の前だと思います、私。はい。二〇〇〇年の前、九七、八年か九年ぐらいじゃなかったかなと思いますね。はい。
■荒木清寛君 私は、浅からぬ関係のようにどうも思えるんですが。
 もう一度聞きますが、このアイティーエム証券で生じた損失、この損失ができることにあなたは何らかの形でかかわったんですか。その原因、原因に何らかの形でかかわりましたか。
■証人(浅川和彦君) 一切かかわっておりません。

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